--- Past Essay ---

clover 2026.3.25

 ◆北海道から


あれは2013年12月31日に行われたCOUNTDOWN LIVE 2013 KAT-TUNのライブ前。

わたしはその人と初めて会った。

まったく知らない歳の差もある人とこうして会うのは人生で初めてだった。


Twitterでこの人のつぶやくことにまったくその通りだとうなづき、同意し、その歯に衣着せぬさっぱりとしたつぶやきになぜか安らいだ。


そしてフォローさせてもらいフォローをしてもらった。

Twitterというものが身に馴染んできた頃、わたしは顔も名前も知らぬツイ友を得た。


二人ともKAT-TUNの亀梨和也推し。

KAT-TUNは2人抜けてグループ4名の時に京セラドームでカウコンを行った。

その時北海道から大阪へやって来るということで是非とも会いたく、待ち合わせをしてわずかな時間だったが初めて話して一緒に写真を撮ったりした。


それから13年。

彼女の身にもわたしの身にも色々なことがあった。

それぞれの寂しさを補うようにそれぞれの人生を重ねて、それを重くならない軽い会話でたわいなく話してここまできたように思っている。


この春、彼女の長男が国立大学に合格した。

彼女の人生を見てきたわたしにはこの合格がただ単に優秀だからだけではなく、息子から彼女に捧げる最大の愛情の表れなんだろうと涙が溢れた。


彼女と話すようになって間もないころ、彼女は突然夫を亡くした。

ここまでの道のりのほんの少しにわたしは関わってきただけなのだろうが、

根底にある彼女の覚悟、二人の息子を育て上げる力をずっと見せてくれていた。


この合格は息子が成し得たことだが実は彼女の思いを受け取ってそれを返すように力を発揮したのだと強く感じたのだ。


北海道から飛び立ち本州へ。

大きく翼を広げるときがやってきた。

いつも写真で見せてくれている息子たちは年々と頼もしく男らしく凛々しくなっている。

彼女の人生がそこに集約されているようで開かれてゆく翼は確かに彼女にしかない光を得て輝いている。



やったね!

すごすぎる!

きっと見てるよ

おめでとう



今までの会話を思えば、伝えるのはこれだけの言葉で十分だ。


北海道からここに続いてるそしてここから北海道に続いてる春の空を清々しく見上げた。




  • 翼には決めた空あり母と見た夕日を抱いた雲の彼方の


桜咲く

に、決まってる



clover 2025.11.20

 ◆枯れ葉


紅葉に目がいくことの多い山間部にいて

山々の変化を見上げることが多い。

地元の紅葉スポットはライトアップされ特別となり芸術のようだ。


しかし、この年齢になるとその圧倒的なる紅葉の赤さに逆に圧倒されるようになった。


先日、義父の病院の帰りにほんの15分くらいの紅葉散歩をした。


じっと上を見上げていたがあまりにも赤くなった紅葉たちから

次第に目線が足元に変わってゆくことに気づいた。


小さい葉が細かく変化する木々や落ち葉の重なりに

なぜか気がゆくようになったのだ。


これが紅葉慣れなのか、年齢的なものなのか、気持ちの変化なのかはわからないが、、、

より和むことは確かだった。


枯れ葉の世界は実に奥深い。

様々な色や形があって朽ちゆく姿が光に照らされるのを間近でしゃがみこんで見つめた。


一枚一枚の朽ちゆく色や形は、雨や風や光などの偶然の重なりで生まれ、その自然の芸術は人の目に触ることはほとんどない。


その中には燃えるもみじ葉の上に数枚落ちてきて散らばり

光をとらえて紅葉よりもなお光っているものまであった。


親の終末を見守るわたしたち年齢のこの時期、

その光景は命の燃えるベッドにいる義父と重なった。


朽ちてゆく枯れ葉たちはいつかは土への栄養となり力となる。

人も同じように思えた。

人間の死は、悲しく辛いものだが

それは人の心に留まり残されたものの生きる土壌を作るのだと思う。


そう思ってからは、生命をしっかり保つ枯れ葉たちを

何枚も何枚も撮影し続けた。





  • もみじ葉に挟まる枯れ葉を手に取れば枯れてはいないと陽に光りおり



こんなに枯れ葉は光るんだ

clover 2025.9.5

 ◆HOPEとWISH


HOPEは、希望・願望・期待が実現する可能性が十分にあるとき
WISHは、希望・願望・期待が実現する可能性が低いとき、または不可能なとき 

と、英語はきっちり使い分けをして両者を分けているようにみえる。

それに対して日本語は、
~だったらいいな
~だったらいいのに
と、もちろん可能性の濃い薄いはあれどなんともあいまいな言葉になる。

あいまいがいいときとあいまいでは困るときがあって
人は勝手なものでその時の気持ちで言葉を選択するのだ。

希望・願望・期待
報われると思いたいのかあいまいにしておきたいのか。

どちらにしてもそれには勇気が覚悟がいる。
強さとはそんな選択など必要としない、ただそれを受け止めることなんだろう。

そんな言葉のあれこれで自分の弱さを戒めている秋の入り口。



  • ああそんなところに希望  HOPEとWISHの違う隙間に眠る 


陽のあたる場所と陽のあたらない場所
どちらが心地いいんだろう

clover 2025.5.27

◆つながり


つながっていくことについて。

先日高校からの親友二人と旅行に行った。毎年恒例。

ここまで長く続き心置きなく話せる友がいることは人生の宝物の一つだ。


延々話す。
日々のことを。日々の思いを。

気がつけば、もう夜明けという長さだった。


親のこと、子供のこと、夫のこと、趣味のこと、周りのこと、
こんなに話が尽きないなんてと驚いてしまった。

子育てが終わり今度は孫育てだという友の話が特に印象に残った。
ちょうど真ん中の世代に位置する友は、親とも子ともそしてまた下の世代の孫とも絶妙なバランスをとっており、わたし一人では知ることのないつながりの世界を感じた。


子どもなんて育ってしまえば...という声も聞こえるが、何があってもそのつながりは唯一無二のものだ。

そして、そこに孫までのつながりができてくることの深さは子も育てたことのないわたしには未知の世界であり、その中で立ち回る友に感心至極 だった。

子にとって孫にとって親や祖父母は、確実に記憶に残る深くつながった人間だ。

わたしが祖父母や親を思うのと同じ深さで意識し意識されることだろう。


子供のいないわたしは、なんとか関わりたいと、

友の孫にまで手を伸ばしたり、近くの子供たちを教えたり、

はたまた夫を子どものように扱ってしまったり、

勝手に押しつける欲張りな愛情を注いだりする。 


未だに子のないことをしつこく嘆くのは、子の存在ではなくそこから得られていたかもしれない多くの未知な世界を体験し真に実感できないさみしさがあるからだ。

自分が人として薄っぺらで頼りないものに思えて

なんとか記憶に残る人間になりたいとその色を濃くするために短歌を詠んでいることもあるのかもしれない。


またまた考えすぎだ
と親友たちの声する。

琵琶湖の夜明けは優しかった。




  • あのときのあの顔ったらなかったね記憶の着地で笑う女子旅



やさしく広がる琵琶湖の面(おもて)

clover 2025.2.10

◆アメリカ横断ウルトラクイズ


昭和のクイズ番組について。


スタジオには高島忠夫さん、敗者復活には徳光和夫さん、そして旅とニューヨークの摩天楼には福留功男さん。

その番組は、視聴者参加型の他に類を見ない大型クイズ番組『アメリカ横断ウルトラクイズ』だ。


わたしもその世界に魅了されたひとり。
スタジオだけのクイズ番組とは違い、そのクイズの旅の長さは人生をも左右する壮大なものだった。


「○まーる○まーる○まーる」

「✕ばーつ✕ばーつ✕ばーつ」

の、声が耳に残る。


ドームができる前の後楽園にわたしも一度参加した。

そして椅子からずり落ち、、、 みごと第一問目で敗退。
でも、笑っていた。

その場所は参加するだけで心踊る憧れの地だったのだ。


ヒーローも生まれた。

長戸勇人さんは語り継がれるアメリカ横断ウルトラクイズの伝説の勝者だ。

何度も敗者となったが、最後にはニューヨークにたどり着き、そこで変わったであろうクイズ人生を今も歩いておられる。

人生が変わる時をまざまざとテレビ画面で日本全国に示した人物だ。



誰かと知り合い、旅をする中で無二の友となり、一問の一瞬で人生が変わることを教えてくれた。

敗者となった永田さん、その仲間であった秋利さん、田川さん、その他大勢の方々。

その人間模様は、ご本人たちだけでなくこの番組を見ている人たちにもだんだんと色濃く映り、その後の彼らの人生や友情も胸に迫って届いた。


こんなにお金のかかる壮大なクイズ番組は二度と作られることはないだろう(予想)。

これも昭和の遺産のように感じる。


一瞬は永遠。


このことを生身で教え、あの時から繋がってきてるわたしの人生の今を
しっかり支え助けてくれている。

この番組に心から感謝をしたい。




  • ○か✕どちらであってもウルトラの愛ならばもう笑って進む



今はライブでこの地を訪れますが
ここにあの○✕の興奮が眠っている

clover 2024.12.14

◆山本塾


かつて確かに存在したスパルタ塾について。遠い昭和の多治見市に『山本塾』という中学受験専門の塾があった。(男子は東海中学校のみ、女子は南山中学校・金城学院中学校に受験する者を対象としていた)スパルタなどという言葉はもうこの現代にはなくなってきたと思うが、まさに厳格かつ過酷な学習をする(させる)塾だ。現在も山に囲まれたこの町の昭和の田舎から都会の中学へ受験するための手段は、そこにしかないことを親から聞いた。見かけない可愛い制服を着た先輩に憧れ、どうしてもあの制服の学校に行きたかったわたしは、親に頼んで何も知らずそこの門に足を踏み入れることになった。そこには他の東濃地区の小学校からも生徒が集まってきており、小学6年になる少し前の春休みからいよいよそのスパルタを受けることとなったのだった。憧れた先輩もこの試練を乗り越えて中学から名古屋の学校に行ったのだと思うとただただ頑張るしかなかったが、それはそれは厳しく...大量のプリントを覚え、こなし、テストされ、あからさまに自分の実力を表に示される世界だった。宿題をやっていなければ『お帰り』 (自宅へ帰る) という罰や、テストの上位点数者から座っていいというときは点数が低ければ立たされ状態のさらし者となるなど、色々な苦痛が生徒たちを襲った。 

恐ろしくも容赦のないそんな毎日の日々は、たどり着く受験日まで続いた。 

しかしみんな勉強に関しては嫌だと思っていてもなぜかその先生のことは嫌いではなかった。その教室で先生が繰り広げる時間は小学生には特別かつ斬新かつ刺激的なものだったからだ。  

中学に入学してからもその先生に会いたかったし、この塾の塾生とはなにかひとつのことを成し遂げた同士のような感覚になって特別なつながりを感じた。苦しい努力の後に世界が広がることを最初に教えてくれた人だと思っている。亡くなって何年も経ったけれど、塾生一人一人を特殊なあだ名で呼ぶ笑顔を思い出す。人間力とは人の持つ偉大な力だ。ただ厳格で間違いがなく穏やかで優しいだけでは到底その力には追いつかない。その時点で持つ実力というものを刻々と知らしめ、 幼い未熟な子どもに未来を想像させ、心を惹きつけ、小学生のうちに人生の入口はここだと教え導いた人。そんな斬新な人物は彼しかいない。たったひとりの人だ。似たような人はいる?それはこの塾を卒業し年齢を重ね経験を重ね多くの人と出会ったであろう多くの塾生に聞けば答えはわかるだろう。


ひな鳥の寄せくる岸に大木は立ちて光の空を教える


  山本壽先生に捧ぐ





見上げる空に
大切な人がいる

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